2013年09月02日

ここ数か月で起きたこと(他界した母のことなど、明るくない話題)

超久々の更新です。結局2012年のフジロックのレポートも途中になっています。
しかし、性懲りもなくフジロックには今年も行きました。フジロックでの2013年の写真が一枚もパソコンに入ってなくて自分でもびっくりですが…
5月と7月に東京に行きました。息子の一家に会いに行くためでした。
で、東京駅。息子は千葉県市川市に住んでいます。
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さて、次に書くことは東京とは全く関係ありません。
7月に母が他界しました。
86歳でした。これについて書き始めると、相当長くなりますが…
思い知ったのは、今の病院には、はっきりした病名がなければ入院できないこと、そして老人の入院については、極力避けたいと言う思いがにじみ出る場所だということです。
それまで通っていた町医者は大病院診察への窓口ですが、入院への窓口ではありませんでした。
母が通っていたデイケアサービスの関係で、ベッドのリースをして自宅療養始めようとしましたが、7月初旬の猛暑の中エアコン修理も間に合わず、往診専門の看護サービスで何度か点滴をしてもらっただけで、あっさり他界しました。直接の原因は夏風邪かもしれません。亡くなる数日前は、水も飲み込めない状態が多かったです。
私にはきょうだいが二人いて、その一人が残る実家に行って母を看たのですが、看護について素人の3人の看病に付き合わされた母は気の毒でした。周囲のみなさんは自宅で息を引き取ることは恵まれたことだと慰めてくれましたが、珍道中のような自宅治療の日々については、後悔しかありません。老人は突如病状が悪化するのに、それに対処できないのです。パソコンを開いて調べる間もなく、正しい食事の摂らせ方も分からないままでした。町医者は何一つアドバイスらしいことを言おうとしません。言っては悪いですが、全て、訴訟に備えている印象を受けました。

家族としてやったことが精一杯といえば精一杯です。長期に苦しまなくてよかったといえばその通りです。母は軽い認知症の薬を飲んでいました。そろそろお迎えが来てもおかしくなかったのかも知れません。
でもね、あと少しは生きられたのに、終末治療体制を押し付けてしまった気がしてなりません。何しろ、セカンドオピニオンを訊くゆとりもなかったのです。
今の老人医療は、元気なうちはどんどん薬を処方する、そして急に具合が悪くなった場合、肺炎など原因のはっきりしているものなら短期入院させるが、だらだら長居しそうな人は退院させる、または入院させないという暗黙の了解で動いてる気がしました。それををカバーするのが自宅派遣の看護士さんチームのようです。往診専門の医師もいます。
しかし、いとも簡単に老衰という言葉を口にした往診の先生の診断を、私は今も信じられません。患者の最期を看取ることに、あまりに慣れてしまっていないでしょうか? 家族はね、もっとあがきたいものです。諦観からは出発できない。でもそれは言えませんでした。
まあ、でも、電化製品で言えば保証期間を過ぎたものにあたるんでしょうね、80代の老人は。
病院がなるべく高齢者の入院を受け入れたくないという状況は、土地柄も関係するのかも知れません。

もう四十九日の法要も終わり、自分の中では気持ちの整理がついたつもりでいます。
なので、後悔を反芻する日々を送っているわけではありません。老人医療をとりまく環境が変わったことを書いておこうという気持ちもあり、書きました。

その後(四十九日法要の前)、フジロックに行って、けっこう気分転換になりました。
下調べが足りなかったし、楽しみにしていたビョークのステージはほとんどよく見えませんでしたが(苦笑)、楽しい3日間でした。

東京に行くのも少し慣れてきたし、また遊びに行きたいです。
やはり面白いものがいっぱいあるところですね。
posted by ring-rie at 13:14| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いろいろ大変な夏だったのですね。あんまりよく分かってなくて、失礼しました。

老親の死というものは、なかなかきちんと納得がいくものではないのだなって、思います。私は2年前に父を亡くしました。やはり、始めは家で点滴からでした。でも、これで治りはしないけど、命が持ちこたえると水分栄養分のすべてが点滴さらには胃ろうになりました。こんなもので生きながらえるのも考えものです。なんか、極端ですよね、老人医療って。これから国民の高齢化で老人の死はどんどん増えていくのだから、なんか、良いサービスを打ち出そうって人、増えたりしないですかねー。自分の時が怖いです。
Posted by モグ at 2013年09月02日 16:10
すみません、ちょっと補足です。
父は始めは家で点滴だったのですが一度は持ち直して、その後また高熱を出したので今度は入院になりました。そこからは点滴漬けで、でも治る見込みが無いからと施設に入り(点滴付けたまま)、その後近所の総合病院で胃ろうにされて、施設にもどされ、熱が下がらず病院もどりとたらいまわって亡くなりました。なんか、いろいろキマリがあって長く入院しているわけにはいかないって言われました。ずっと高熱出て苦しんでたんですけどねー。素人には何が何だか分かりませんです。
(先ほどのコメントだと、家で看取ったみたいな感じだったので、ちょっと補足させていただけました)
Posted by モグ at 2013年09月02日 20:39
モグさんこんばんは!
ご丁寧にありがとうございます。
いえいえ、前回お会いしたときは、まさかこんなふうになるとは予想してませんでした。
志穂美さんには、親を心療内科医に診てもらった話とかしていたんですが、パーソナルなことでもあり、周囲にはあまり話していませんでした。
仰る通り、納得の行く形ってないですよね。うちの親は胃瘻については最初から嫌だと言っていました。その意志の確認ができていたのはラッキーかもですね。
ですが、何らかの「管をつないだ状態」で病院で生きてもらうという選択をすれば、親戚のお見舞いを受けることもできたと思うのです。あまりにあっけなく亡くなったので。でもそれがベターな選択かどうかというと、何とも言えませんよね。結果を受け入れるのみです。

実は点滴がすでに延命行為の一部と言えると往診の医師が言ったのですが、これについては点滴ぐらいはやってもらおうと思いました。だって何もしないで自然死を待つなんてできませんから。

それにしても、病院が患者をたらいまわしにするというのは、何とかならないかと思いますね。
今回私たちはそういう事態にならず、一度の入院すらできそうもありませんでした。それで自宅療養になったのですが、全く準備不足で悲惨でした。おそらく、今後は自宅療養コーディネーターのような仕事が生まれると思います(苦笑)

また自分の体験を語るばかりですみません。
モグさんのような体験のほうがずっと苦い体験なのだと思います。
うちの親については、ある程度本人の意思を尊重して最期を迎えたとも言えるので、その点はよかったのかもです。
でも結局、納得のいく形ってないですよね。最初と同じこと言っています(苦笑)
Posted by ring-rie at 2013年09月03日 18:53
私も、全然状況を知らず、凛さんに会えたのが嬉しくてはしゃいでしまいました。年甲斐もなく。
お母様のお悔やみを申し上げます。
そんな大変な日々の中、私と違って大袈裟に騒ぐこともなく、愚痴をこぼすこともなく、私の友人たちはみんな尊敬できる大人だな。と思いますが、でも本当は冷静に、うまくやる、なんてことできるわけがないですよね。だって親なんだもの。
きっとおっしゃるように、どんなに心を尽くして送っても、後悔してしまうんでしょう。
私はこれからですが、そのことを忘れずにいようと思います。
そして性懲りもなく、落ち着かれたら、また遊んでね〜!と誘う私でございます。
すいません。
Posted by ショコポチ at 2013年09月08日 00:34
ショコポチさん、いえいえ、そんなんじゃないんですよ!
あのときは、かなり元気そうだったんです。
で、親の心配はいろいろありましたが、上に書いたようなことはまだ起きてなくて、それで呑気に旅行に行ったんです。
オフ会は楽しくて、ほんと皆さんに会えて嬉しかったです。千葉ピーナツも納豆スナックもチャイも絵葉書ももらって、恐縮でした。次回は大阪の土産を渡さなくては〜と意気込んでいます(笑)ほんと、皆さんに会うたびにできた方々で、さらに自分と趣味があうという、この関係が嬉しくて、自慢することない自分の自慢はこれだなと思います。オフ会の皆さんの他にも、私は友人に恵まれています、これは間違いない(笑)

それでもまあ、親との別れに付ける薬は日にち薬しかないみたいです。そして、精一杯であったと言いきれない自分の後悔の念の塊が、ちょっとずつ消えて行きます。医療制度に文句はありますが、意味のない逡巡からは解放されました。よかったです♪
また東京に行ったら、遊んでやってください。こちらこそよろしく、です!!
Posted by ring-rie at 2013年09月08日 15:04
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