2014年09月30日

昆陽池フェスティバルにて、溺れたエビの検死報告書、9月28日

溺れたエビの検死報告書はエビの被り物を着用、元は関西限定でライヴ活動していたそうだが、フジロックにも出演してじわじわと知名度をあげてきたようだ。まずはどんな被り物かご覧いただきたい。夜はこのエビがイルミネーションで輝く。昼の姿は初めて見た。
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最初に聞きに行ったのは中津のライヴハウスだった。ドラびでおがトリを務める3バンド出演の催しで、東京のSさんがぜひ行きたいということで一緒に出かけた。ジャズロック、ファンク系でフランク・ザッパや渋さ知らズなどが好きな人にお勧めかも。基本的にキャッチーな音楽ではない。ビジュアル面で度肝を抜かれるが、音楽に向かう姿勢は至って真面目である。メンバーは7〜8人。彼らのフェイスブックページにはこの日の出演者とセットリストが上がっていた。

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写真は伊丹市の昆陽公園での、昆陽池フェスティバルーGreen Jamで撮影した。ステージ前には子連れが多く、子どもたちはエビたちに見入っていた。エビせんべいをステージから撒くときは楽しそうだった。

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溺れたエビのリーダーらしい縦エレキベース担当の彼は、この日はもっぱらダンサーとして活躍していた。
きみどり色のビブラホンかマリンバのような楽器はセッティングにかなり苦労していたようだ。途中から左側の音が出なくなったのか、スタッフが調整していた。しかしおそらくだれもそんなことは気にしていない。
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演奏前のセッティングの様子。西日が当たってまぶしかった。

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溺れたエビの始まる前、メインステージ横の小さなステージで演奏するバーカーズ。ブルースバンドだった。デイドリーム・ビリーバー、コーヒールンバなどのカバー曲や、酔っ払い、老眼鏡などのリアルな体験談交えたオリジナル・ブルースを披露した。後ろに見えるのが昆陽池。

溺れたエビの他の写真を載せておきます。

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2014年09月16日

木靴の樹 (1999年頃書いた感想)

昔のホームページを整理していたら映画の感想が出てきました。

オルミのこの映画、だんだん記憶が少しずつ曖昧になっていきます。
曖昧な記憶の中で、木を倒すお父さんのシーンだけが鮮明になります。
1999年ぐらいの自分はもう少し鮮明に覚えていたのかもしれません。
読み返しましたが別に面白くない文章でした。とくに最後の一文はつまらん終わらせ方です。
そんなん要らんわ! とおっしゃる方もいるでしょうが…どんな映画かという概要は分かります。

なぜこの映画の感想が目に止まったかというと、彼の近作について、ひとこと言いたかったからです。
わりと最近、オルミの映画が上映されるというので期待一杯で見に行ったことがありました。数年前でしょうか。このブログで見に行く予定だとだけ書いたような記憶があります。
しかし、もうタイトルも忘れました。川がどうのこうのってタイトルだったような。
とにかく、あれはダメでしょう! 中途半端でした。
デル(パソコンの)がスポンサーだったらしく、田舎の村人の集会にいきなり主人公のノートパソコン登場。
あのシーンには、我慢ならん!と思いました。
しかし、相変わらず自然光を大切にした撮影をしていました。その点は懐かしかったし、嬉しかったです。
でも、生きているうちに映画館でもう一度見たいのは、「木靴の樹」のほうです。

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「木靴の樹 」
1978年 イタリア 179分
監督:エルマンノ・オルミ
出演:ルイジ・オルナーギ、オマール・ブリニョッリ、
   ルチア・ペツォーリ

 19世紀末の北イタリアの貧しい農民の生活を、そこに生きていた農民の視点から描いた映画。この視点は、最初から最後まで徹底して変わらない。
 この映画は、貧農から搾取する側を安易に非難したり、清く貧しく美しく生きる者を脳天気に描いたりはしない。インテリの高みから型どおりに農民を描くこともない。そうした夾雑物を見事に取り除き、数組の家族のさまざまなエピソードを一見淡々と描いているが、その描写が実に緻密である。人々が大切にしている全てのものが、自然の光の中で輝いている。
 観客を惹きつけるのは、常套句でくくられるものから、はみ出したものだ。型どおりの言い方をするなら、「貧しさと闘い、ただひたすら生きることに懸命な」人々を描いた映画ということになるだろう。だが、極めて厳しい状況の中でも、登場人物たちは独自の価値観と幸福感を大切にして生きている。彼らはときに生真面目で、ときにユーモアと寛大さに満ちている。きわめて身近でありながら高邁なものを、この監督はいくつも見せてくれるのである。だがこの農民たちには、地主の納得しがたい処遇に抗する手立てはない。
 監督自らが撮影、脚本、編集を担当。彼の徹底したリアリズムの追求に、最高の賛辞が贈られるべきである。リアリズムという語は手垢にまみれた言葉であるが、やはりこの言葉なくして彼の映画は語れない。

(以上です。下の画像のお父さんの言葉がすばらしい。
 他にもいろんな話があったのに、記憶から飛んでしまいます。)

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posted by ring-rie at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月10日

iPadアプリでブログを更新しました。『ほとりの朔子』

iPadのアプリでブログの更新ができるというのでやってみます。
少し前になりますが『ほとりの朔子』という映画を見に行きました。
ちょっと前の写真ですがアップしておきます。
大阪、九条のシネヌーヴォ前です。2CDB8A23-5817-4DBD-8E4E-5536C6844028.jpg
『ほとりの朔子』は、二階堂ふみが主演でした。

彼女がきれいだから成立する部分はいろいろあるけど、主演が彼女じゃなくてもっと印象薄い女の子だったら、物語は引き立ったかもしれない
旬の女優使う難しさはあるけど、もう二度とこんな姿は見れないかもという映像があり、それに出会えたのは収穫でした。

脚本は相当考え抜いたもので、所々すごく面白い。夏の日に見た遠い記憶では終わらなそうな生々しい出来事はあっても、夏が終われば終了時間が来て、描写は途中まででおしまい。終わり際で朔子の今後についての決意が語られる。あえて消化不良気味を狙ったのかもだけど、少しは自然にまとまって行くよう工夫できなかったかと思う。でも題材は非常によかった。
posted by ring-rie at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする